キャンピングカーが趣味+わん子。

40オーバーではじめて趣味を持ちました。

私の私生活 会社の送別会

キャンカーネタも、お風呂ネタも、わん子ネタも距離がある、私の日常。


そう。

お仕事💀


今日は会社の送別会でした。


人事が一月一日なのです。


私は移動しませんが、今回は沢山の方が動きます。


涙あり。



私は会社が大好きです。


色んな理不尽、不可解、圧力等、あります。




でも、44オーバー。


振り返れば色んな形で皆私の肥やしエネルギーです。


尖ってた20代、

いきってた30代、

やっと見晴らせるようになった40代。



子供の頃習った孔子の言葉を思い出します。


吾十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑はず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順ふ。

七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

 byウィキペディア


40越えないと自立出来ないのですね。


30越えたくらいでは迷いだらけ。


なんか、解ります。



依存する。

期待する。


それらの感情から解放してあげる、自分自身を。



私の母は、専業主婦でした。


彼女がどれだけ泣いていたのかもちょっと鱗片を齧ってます。


その母が言います。

「社会とつながりを持ち続けなさい。」


亭主関白で、会社第一主義だった父が言います。

「しがみついてでも辞めるな。」






母は、専業主婦で発揮できる機会を失った自分の人生の後悔(子供が巣立って、ようやくその後に彼女は家でやる内職以外の仕事をします。そしたらスーパーセールスとして開眼した。が故の、後悔)、


父は、私の主人の職業が安定しないことから来る不安感からの、勤務継続(どうもそれだけじゃなさそうですが)、


両親は、私が働き続けることを、色んな角度から望みました。


私は、申し訳ないですが、そんな親心を無視して働きました。


親心と違う価値を見いだしただけのことでしたが(働くのが好き)、親は心配だったでしょうね。

でも何のかんのと娘は働いてましたから、フリーランスの旦那が許せたのだと思います。


許されなくたって、かまやしないのです。

むしろ、強烈な私を嫁にもらう旦那を気遣っていました。



そんな冗談はさておき、


私は会社が大好きです。


色んな理不尽と感じることも、

一歩退いて考えると、


「相談している上司には、こちらが判断しているだけの現状報告が上手く伝わって無く、理解不足が不協和音になってるんだ。

では私達の報告で、判断たり得る情報を提示し、仮説を展開して、判断仰ぐのがフェアだろう。」


とか一生懸命考えるわけです。



疲れますが、お客様、クライアント様がハピネスな域に到達できることがお仕事で、その達成感は私の人生に近しい物なので、満足なんです。

真心を込めてお仕事いたします。


それが色んな評価として自分に返って来るだけなのです。



そんな色んな思い出を持つ同僚達の送別会。


いや、壮行会。


皆、運命共同体です。

頑張ろうね!





…(・∀・)、誰も聞いちゃいないけど💖